『パール博士のことば』 (東京裁判後、来日されたときの挿話) 田中正明著
原爆のヒロシマ
パール博士は、広島の爆心地本川小学校講堂で開かれた世界連邦アジア会議にゲストとして参加された。この会議は独立したばかりの新興アジア諸国の指導者を交えた14カ国、45名の代表と千余名の世連主義者によって構成された。壇上には連邦旗を中心に左右に「人類共栄」「戦争絶滅」のスローガンをかかげ、馬蹄形の議事場には14カ国の代表と正面に下中大会委員長、特別来賓のパール博士と英国のボイド・オア卿(ノーベル平和賞受賞者)が着席した。
博士は45分間にわたる特別講演をおこなった。この講演は、アジア会議の性格を規定する重大な意義をもつものとして注目された。
「人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。」と前提して博士はこう述べられた。
「広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」
白人代表を目の前にしての痛烈な民族・人種問題についてのこの講演は、会議の性格を一変したといっていい。
この博士の講演に引き続き無残にも悪魔のツメアトも生々しい4名の原爆乙女が壇上に立った。ケロイドで引きつった顔に黒眼鏡をかけた佐古美智子さん(当時20才)が、
「わたしたちは、過去7年の間原爆症のために苦しんできましたが、おそらくこの十字架はなほ長く続くと思われます。しかし、わたしたちは誰をも恨み、憎んではいません。ただ、わたしたちの率直な願いは、再びこんな悲劇が世界の何処にも起こらないようにということです・・・。」
と、涙にふるえながらメッセージを読みあげれば、会場は感動のルツボと化し、嵐のような拍手が鳴りやまなかった。感極まった比島代表のアンヘルス氏が原爆犠牲者に一分の黙祷を提案した。一同起立して、黙祷を捧げた。米代表のマックローリン夫人が「わたしはアメリカ人としてこの原爆に責任を感じています。この悲劇がふたたび起こらないよう生涯を通して原爆阻止運動に献身します。」と誓いの言葉を述べた。そして乙女たちの一人一人を抱いて頬に感激のキスをおくった。博士によればこれこそアメリカ人にして《原爆の懺悔》をした最初の人であった。
原爆慰霊碑と博士の追悼詩
11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何がかいてあるかと聴かれた。『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。
「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」
このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士との対談まで発展した。
このあと博士はわたくしに「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆された。
その夜、わたくしたちのホテルに、広島市小町の本照寺の住職筧義章さんが訪ねてこられこういわれた。「わたくしの寺の檀徒も大勢原爆でやられています。また出征して多くの戦死者も出しています。これらの諸精霊に対して、どうゆう言葉を手向けたらよいか。パール博士に『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたい。」と懇願された。
これを聞かれた博士は、意外にも快く引き受けられた。そして一夜想いを練られて、奉書紙と筆をとりよせ次のような詩を揮毫された。その詩が今も本照寺に建立されている『大亜細亜悲願之碑』である。ナイル君がベンガル語を和訳し、さらに英訳して三カ国語で大きな黒御影石に刻んだ。
それは次のような格調高い詩である。
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
1952年11月5日 ラダビノード・パール
原爆のヒロシマ
パール博士は、広島の爆心地本川小学校講堂で開かれた世界連邦アジア会議にゲストとして参加された。この会議は独立したばかりの新興アジア諸国の指導者を交えた14カ国、45名の代表と千余名の世連主義者によって構成された。壇上には連邦旗を中心に左右に「人類共栄」「戦争絶滅」のスローガンをかかげ、馬蹄形の議事場には14カ国の代表と正面に下中大会委員長、特別来賓のパール博士と英国のボイド・オア卿(ノーベル平和賞受賞者)が着席した。
博士は45分間にわたる特別講演をおこなった。この講演は、アジア会議の性格を規定する重大な意義をもつものとして注目された。
「人種問題、民族問題が未解決である間は、世界連邦は空念仏である。」と前提して博士はこう述べられた。
「広島、長崎に投下された原爆の口実は何であったか。日本は投下される何の理由があったか。当時すでに日本はソ連を通じて降伏の意思表示していたではないか。それにもかかわらず、この残虐な爆弾を《実験》として広島に投下した。同じ白人同士のドイツにではなくて日本にである。そこに人種的偏見はなかったか。しかもこの惨劇については、いまだ彼らの口から懺悔の言葉を聞いていない。彼らの手はまだ清められていない。こんな状態でどうして彼らと平和を語ることができるか。」
白人代表を目の前にしての痛烈な民族・人種問題についてのこの講演は、会議の性格を一変したといっていい。
この博士の講演に引き続き無残にも悪魔のツメアトも生々しい4名の原爆乙女が壇上に立った。ケロイドで引きつった顔に黒眼鏡をかけた佐古美智子さん(当時20才)が、
「わたしたちは、過去7年の間原爆症のために苦しんできましたが、おそらくこの十字架はなほ長く続くと思われます。しかし、わたしたちは誰をも恨み、憎んではいません。ただ、わたしたちの率直な願いは、再びこんな悲劇が世界の何処にも起こらないようにということです・・・。」
と、涙にふるえながらメッセージを読みあげれば、会場は感動のルツボと化し、嵐のような拍手が鳴りやまなかった。感極まった比島代表のアンヘルス氏が原爆犠牲者に一分の黙祷を提案した。一同起立して、黙祷を捧げた。米代表のマックローリン夫人が「わたしはアメリカ人としてこの原爆に責任を感じています。この悲劇がふたたび起こらないよう生涯を通して原爆阻止運動に献身します。」と誓いの言葉を述べた。そして乙女たちの一人一人を抱いて頬に感激のキスをおくった。博士によればこれこそアメリカ人にして《原爆の懺悔》をした最初の人であった。
原爆慰霊碑と博士の追悼詩
11月5日、博士は原爆慰霊碑に献花して黙祷を捧げた。その碑に刻まれた文字に目を止められ通訳のナイル君に何がかいてあるかと聴かれた。『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』・・・博士は二度三度確かめた。その意味を理解するにつれ、博士の表情は厳しくなった。
「この《過ちは繰返さぬ》という過ちは誰の行為をさしているのか。もちろん、日本人が日本人に謝っていることは明らかだ。それがどんな過ちなのか、わたくしは疑う。ここに祀ってあるのは原爆犠牲者の霊であり、その原爆を落した者は日本人でないことは明瞭である。落した者が責任の所在を明らかにして《二度と再びこの過ちは犯さぬ》というならうなずける。 この過ちが、もし太平洋戦争を意味しているというなら、これまた日本の責任ではない。その戦争の種は西欧諸国が東洋侵略のために蒔いたものであることも明瞭だ。さらにアメリカは、ABCD包囲陣をつくり、日本を経済封鎖し、石油禁輸まで行って挑発した上、ハルノートを突きつけてきた。アメリカこそ開戦の責任者である。」
このことが新聞に大きく報ぜられ、後日、この碑文の責任者である浜井広島市長とパール博士との対談まで発展した。
このあと博士はわたくしに「東京裁判で何もかも日本が悪かったとする戦時宣伝のデマゴーグがこれほどまでに日本人の魂を奪ってしまったとは思わなかった。」と嘆かれた。そして「東京裁判の影響は原子爆弾の被害よりも甚大だ。」と慨嘆された。
その夜、わたくしたちのホテルに、広島市小町の本照寺の住職筧義章さんが訪ねてこられこういわれた。「わたくしの寺の檀徒も大勢原爆でやられています。また出征して多くの戦死者も出しています。これらの諸精霊に対して、どうゆう言葉を手向けたらよいか。パール博士に『過ちは繰り返しませぬから』に代わる碑文を書いていただきたい。」と懇願された。
これを聞かれた博士は、意外にも快く引き受けられた。そして一夜想いを練られて、奉書紙と筆をとりよせ次のような詩を揮毫された。その詩が今も本照寺に建立されている『大亜細亜悲願之碑』である。ナイル君がベンガル語を和訳し、さらに英訳して三カ国語で大きな黒御影石に刻んだ。
それは次のような格調高い詩である。
激動し 変転する歴史の流れの中に
道一筋につらなる幾多の人達が
万斛の想いを抱いて死んでいった
しかし
大地深く打ちこまれた
悲願は消えない
抑圧されたアジア解放のため
その厳粛なる誓いに
いのち捧げた魂の上に幸あれ
ああ 真理よ!
あなたはわが心の中にある
その啓示に従って われは進む
1952年11月5日 ラダビノード・パール
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原爆記念日あたりに、この記事を上げようと思っていましたが、戦争関連が続くのも
どうかと思い、あたためていました。歴史として、知っておく必要があるのではないかと思います。自分の為に。。。
この中で『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』この言葉が出てきますが、私自身深く考えた事もなく、また気にした事もありませんでした。
改めて考えると、過ちは繰り返しませんって誰が誰に言っていることなのか理解に苦しむ。それを言うのは原爆を落としたアメリカなら分かるけれど、日本人が言うのは理屈に合いません。
少しづつ興味が沸いて来ました。知らなければならないと!
戦争のことはたとえ映画であっても、文字であっても絶対に目にする事はしないくらい嫌な事でした。見たくも、知りたくもないと
長い間モヤモヤとした気持ちがあって、従軍慰安婦、韓国、中国の事、そして父がいつも話してくれた台湾の事。知らない事は恥ずかしい事、それが自国のことならなおさら。ネットの普及により更に詳しく知る事が出来るようになりました。
そしてマスコミは本当の事は書かない、知らせない自分達の都合の良いようにしか報道しない事。プロパガンダを繰り返し、読む人を見る人を洗脳しているのではないかと思うようになりました。繰り返し聞かされるとそれが正しいと思い込んでしまう、それが前回の総選挙でよく分かりました。
きちんとした政策をもっていた、麻生内閣を悉く批判し、どうしてもミンスに勝たせなければいけない《何か》があったのだろうと推測します。
それこそ箸の上げ下ろしまで批判の対象にして、扱き下ろしミンスに行くように扇動したマスコミの責任は大きい。そしてこの体たらく・・・
もしかしたら犯罪者の首相が誕生するかも知れない・・・世界は何を思うだろう。
有権者も何が正しいのか、もっと確り見抜く力をつけなければならないと思います。
メディアに顔を出し、政治家の擁護をしている、コメンテーター、自分の感情だけでそれが正しいと言わんばかりの
勢い誰もこんな事があるといわない、言えばきっと仕事がなくなるんだろうか、それとも金銭のやり取りがあるのかもしれない・・・。そうであればいえるわけがないから。
先日中学生と言う少女の記事を読みました。マイ日本だったかミクシだったか、その年齢に似合わない凛とした言葉でこの国の将来を案じる文章でした。それを読み、この国も捨てたものではないと思いました。
少しでも若い人の為に、これから先を変えることが出来るなら頑張ってみようと思います。
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原爆記念日あたりに、この記事を上げようと思っていましたが、戦争関連が続くのも
どうかと思い、あたためていました。歴史として、知っておく必要があるのではないかと思います。自分の為に。。。
この中で『安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませぬから』この言葉が出てきますが、私自身深く考えた事もなく、また気にした事もありませんでした。
改めて考えると、過ちは繰り返しませんって誰が誰に言っていることなのか理解に苦しむ。それを言うのは原爆を落としたアメリカなら分かるけれど、日本人が言うのは理屈に合いません。
少しづつ興味が沸いて来ました。知らなければならないと!
戦争のことはたとえ映画であっても、文字であっても絶対に目にする事はしないくらい嫌な事でした。見たくも、知りたくもないと
長い間モヤモヤとした気持ちがあって、従軍慰安婦、韓国、中国の事、そして父がいつも話してくれた台湾の事。知らない事は恥ずかしい事、それが自国のことならなおさら。ネットの普及により更に詳しく知る事が出来るようになりました。
そしてマスコミは本当の事は書かない、知らせない自分達の都合の良いようにしか報道しない事。プロパガンダを繰り返し、読む人を見る人を洗脳しているのではないかと思うようになりました。繰り返し聞かされるとそれが正しいと思い込んでしまう、それが前回の総選挙でよく分かりました。
きちんとした政策をもっていた、麻生内閣を悉く批判し、どうしてもミンスに勝たせなければいけない《何か》があったのだろうと推測します。
それこそ箸の上げ下ろしまで批判の対象にして、扱き下ろしミンスに行くように扇動したマスコミの責任は大きい。そしてこの体たらく・・・
もしかしたら犯罪者の首相が誕生するかも知れない・・・世界は何を思うだろう。
有権者も何が正しいのか、もっと確り見抜く力をつけなければならないと思います。
メディアに顔を出し、政治家の擁護をしている、コメンテーター、自分の感情だけでそれが正しいと言わんばかりの
勢い誰もこんな事があるといわない、言えばきっと仕事がなくなるんだろうか、それとも金銭のやり取りがあるのかもしれない・・・。そうであればいえるわけがないから。
先日中学生と言う少女の記事を読みました。マイ日本だったかミクシだったか、その年齢に似合わない凛とした言葉でこの国の将来を案じる文章でした。それを読み、この国も捨てたものではないと思いました。
少しでも若い人の為に、これから先を変えることが出来るなら頑張ってみようと思います。
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